セスナについて

当社は1972年(昭和47年)4月1日に現在セスナビルが有る荘園町に誕生しました。
薬局を営業することを目的に資本金300万円でスタートし、薬と化粧品の売り場を二等分する平屋を建設しました。

この建物はちょうど現在の荘園町に有るセスナビルの前面駐車場の位置になります。そしてすぐに3,000万円まで増資を繰り返し、本社を別府市北浜に移転しセスナ北浜薬局を併設、セスナ銀座薬局、セスナ富士見薬局、セスナ大学通り薬局を開局しました。今では調剤をする薬局と言っても当然普通ですが、当時は処方箋そのものが、ほとんどありませんでした。その中で、リンドバーグ医院が処方箋発行に踏み切り、応需しました。

その後寝具販売の寝装部を設立し、店舗を大学通に建て、教育事業部も設立して塾もスタートし、教科書の出版事業を始めました。1977年(昭和52年)当時はまだ観光地として売り出そうとしていた八重山列島の沖縄県石垣島に、当時の富士見病院院長の医療の提供とロマンを求めての開院をお手伝いしたのを機に、セスナ石垣島薬局を開局しました。今ではほんとうによい想い出となりました。社会に役立つ理念の元、飲食部も作りましたが、1990年よりは基本の「調剤」「一般医薬品」「化粧品」の3部門だけに戻っています。  

薬局としては非常に珍しく早くから電算化に取り組みました。1981年(昭和56年)第1次電算化スタートし、第2次、第3次終了させ1983年(昭和58年)に念願の本社ビルを現在の荘園町に竣工させ、本社を再移転しました。その後電算化を繰り返しながら1993年(平成4年)に餅ヶ浜町に「セスナドラッグ餅ヶ浜」を竣工しました。そして、若草町に1994年(平成5年)に調剤専門薬局の「セスナ調剤センター」を、2012年(平成23年)に「セスナ薬局千代町店」を開局しました。2021年(令和3年)5月末日をもって銀座店閉店、同年6月末日をもって餅ヶ浜店を閉店しました。それぞれ、46年間、29年間の営業でした。医薬品の店頭販売の時代の流れを予測しての閉店です。2021年(令和3年)8月現在セスナ荘園薬局、セスナ千代町店の2店舗体制です。

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